新聞に載らない内緒話「東京五輪招致」
中学校時代の、保健体育の担当教師は「坂井先生」だった。変わった先生で、授業中に黒板に板書することが一度もなかった。「チョークの粉を吸うと体によくない」と言ってはばからない。いつもマスク姿で、雑談まみれで、授業はあちこちに飛ぶから、お陰でノートをとるのに四苦八苦させられた。
授業より息子自慢が大半で、それもそのはずで、「息子」は1964年(昭39)10月10日の東京五輪、最終聖火ランナーとして日本の復興を世界中に伝えた坂井義則(よしのり)である。新聞報道によると、その坂井さんも当年64歳だそうだ。時の流れを感じる。
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