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新聞に載らない内緒話

新聞に載らない内緒話「東京五輪招致」

東京五輪招致

  中学校時代の、保健体育の担当教師は「坂井先生」だった。変わった先生で、授業中に黒板に板書することが一度もなかった。「チョークの粉を吸うと体によくない」と言ってはばからない。いつもマスク姿で、雑談まみれで、授業はあちこちに飛ぶから、お陰でノートをとるのに四苦八苦させられた。

  授業より息子自慢が大半で、それもそのはずで、「息子」は1964年(昭39)10月10日の東京五輪、最終聖火ランナーとして日本の復興を世界中に伝えた坂井義則(よしのり)である。新聞報道によると、その坂井さんも当年64歳だそうだ。時の流れを感じる。

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新聞に載らない内緒話「古橋広之進さん死去」

古橋広之進さん死去

  「フジヤマのトビウオ」古橋広之進さんが亡くなった。8月2日、滞在先の、ローマでの客死であった。

  実は2004年(平16)9月の、このコラムで私はこんな原稿を書いている。一部抜粋してみたい―。

  その昔、古橋広之進さんにインタビューする機会を得た。終戦直後、「フジヤマのトビウオ」のニックネームで数々の世界記録を樹立した、その人である。水泳パンツの下にふんどしを締め、泳いで泳いで泳ぎまくった。その結果「頭の先が流線形になった。水をかき分けるように、魚の頭のように尖って、手も、指の付け根に水かきのような膜が出来た」。嘘のような話しだが本当である。

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新聞に載らない内緒話「島立ち」

島立ち

  旨い酒を飲んだ。「島立ち」という名の焼酎で、甑島(こしきじま)の産である。

  味はもちろんだが、その酒にまつわるエピソードにしたたか酔わせてもらった。

  その一升瓶の、裏側に貼ってあったラベル、能書きを引き写してみたい。

  「里中学校三年生が育てたサツマイモを使用。遥か南方からの黒潮に美しく洗われる甑島は、鹿児島県薩摩半島から40キロの東シナ海に位置します。その玄関口里町の里中学校では、三年生になると恒例のサツマイモの植え付け行います」。

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新聞に載らない内緒話「呑みすぎ注意」

呑みすぎ注意

  先日、恩師の墓参りに行ってきた。今年は20回の節目になった。

  大学時代の同期生、OBなど、先生にお世話になった人間が遠くは九州、四国、北海道から集まってくる。駅前で花を買い、バスで霊園へ向かう。1年に一度の恒例で、雑草の茂った墓地の掃除をする。終わればその周りで酒盛りということになる。大酒呑みだった先生は、ビールを氷で割って呑むのが好きだった。ビールの水割りを供え、買ってきた焼き鳥をつつく。

  先生はある健康上の理由で早々に亡くなられたが、歌人の奥さまはお元気である。足が悪いので墓参りがままならない分、息子さんが代参してくれる。息子さんは日本屈指の、著名な写真家で、我々に交じって酒を酌み交わす。かつての教え子たちの昔話を聞きながら、家では知り得ない父親の実像に触れることとなる。

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新聞に載らない内緒話「案山子残照」

案山子残照

  奇妙な人物である。

  ピート小林。略歴は「前世紀生まれ。年齢不詳。駐留軍基地と米国で下級労働者、バーテンダー職などを経て広告業界へ。博報堂、電通(なぜかこの時点から一流の職場を得る。そのきっかけは謎である)勤務後、独立」とおおむねこんな生き方である。桜と案山子(カカシ)を追いかけるカメラマンで、コピーライター。生家である教会(クリスチャンだったんだぁ)にはおごそかな十字架が建っている、とか。

  酔った勢いで私生活までじっくり聞いたが、記憶の彼方で、とにかく風変わりなおっさんであることは間違いない。

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新聞に載らない内緒話「嫌いなネクタイ」

嫌いなネクタイ

  高校を卒業して、すぐに就職した。学業不振と素行不良で、大学進学を諦めたこともあったが、早く一人前になりたくて、手に職を付けたかったのである。ある会社の営業担当になり、小さいながらも明るい、活発な職場で気に入っていたのだが、半年も勤めると辞めてしまった。

  そんな理由で? と人は笑ったが、実はネクタイが嫌いだったのである。首回りを締め付ける、あのネクタイが生理的に合わなかった。

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新聞に載らない内緒話「人たらし」

人たらし

  横綱審議委員会によるけいこ総見が4月29日、東京・両国国技館で行われた。けいこを回避する方向だった横綱朝青龍は新小結の鶴竜や栃煌山らと8番の申し合いで全勝。けいこ後に、心臓病で長期療養していた天敵・内館牧子委員のもとへ歩み寄って「心配してました」と握手。これが奏功したのか、内館委員は辛口批判の代わりに、この日の朝青龍を「秀吉のような人たらし」と評した、と新聞にはある。

 確かに秀吉という人、人使いの旨さには定評があった。歴史の示すとおりである。

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新聞に載らない内緒話「桜の歌」

桜の歌

  3月下旬、地元の仲間と花見としゃれこんだ。温暖化で開花宣言も出たから、さすがに満開だろうと踏んだのが大間違い。寒の戻りとはこのことで、天気は上々だったが北風が強く、しかも桜は2分咲き程度で、早々に引き揚げた。もっとも、花見は建前で、本音は露天での一杯だから防寒服の襟を立てながら初期の目的は達成した。

  桜の名所は数々あれど、作家の池波正太郎さんが愛したのは、上野寛永寺・両大師堂の境内にある「御車返しの桜」だった。この桜は、1本の木に一重と八重の淡い紅色の花が同時に咲く。

  そのいわれは、後水尾天皇が京都の常照皇寺に花見に行った折り、その美しさが忘れがたく、牛車を返してもう一度鑑賞したということになっている。後水尾天皇の皇子・守澄法親王が初代輪王寺門主となった縁で、この境内に植えられたようで、江戸名所花暦では28品のサクラの一つとしてあげている。

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新聞に載らない内緒話「さよなら代」

さよなら代

  Aさんは都内の、ある私立高校の守衛である。今年で65歳になる。工業大学を卒業後、製造メーカーに就職、無事定年を迎え、現在は年金生活になった。少なかったが退職金も出、マンションのローンも払い終えた。妻と2人暮らしで、2ヶ月に一度振り込まれる、約40万円のそれでささやかに生きてはゆける。このご時世、恵まれた環境といえそうだ。

  だからあくせくする必要もないのだが、ぼんやりしていてもしょうがないので、地元のシルバー人材センターに登録し、小遣い稼ぎ程度の仕事をしている。そこで斡旋を受けたのが守衛の仕事だった。昨年4月1日に1年契約で採用され、午後4時から3時間働く。時給は850円である。帰り道に一杯やるのが楽しみになった。

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新聞に載らない内緒話「異時廃止」

異時廃止

  2月10日、東京家簡地裁合同庁舎で、裁判所主催による留学仲介会社・株式会社ゲートウェイ21の債権者集会が開催された。昨年秋、突然の破産申し立てで、すでに留学費用を支払った顧客が1000人以上、渡航中の留学生の多くは語学学校、ホームステイ先の突然の打ち切り通告など、そのひどい対応ぶりが社会問題にもなったから、ご記憶の向きも多かろう。

  集会では破産管財人の弁護士が、同社の貸借対照表、損益計算書を提出、破産までのいきさつを説明した。会社の収支状況を見る損益計算書は見るも無惨だった。1997年(平9)に立ち上げたこの会社だが、破産する2008年(平20)まで営業利益はほとんどの期で赤字、経常利益も同様で、こんな会社が成り立っていたのか不思議である。

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新聞に載らない内緒話「冬のCM」

冬のCM

冬になると思い出すCMがある。

  1973年(昭48)の作品だから、私はまだ、大学浪人中だった。作家の山口瞳さんが出演したサントリーの「雁風呂」。ナレーションを再現してみよう。

  「月の夜、雁は木の枝を口にくわえて北の国から渡ってくる。

  飛び疲れると波間に枝を浮かべ、その上に止まって羽を休めるという。

  そうやって津軽の浜までたどりつくと、いらなくなった枝を浜辺に落として、さらに南の空へと飛んでいく。

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新聞に載らない内緒話「派遣」以下

「派遣」以下

   日比谷公園の、「年越し派遣村」に着いたのは正午過ぎだった。ちょうど昼食が始まったようで、配給を待つ3列縦隊がノロノロと動き始めていた。正月の、あっけらかんと明るい陽光と刺すような日陰の明暗。日比谷図書館脇の、50メートルほどの列は次々と合流する人の群れを呑み込んで、黒い影をさらに長く延ばした。

  「寒い中、長い間お待たせしました。今から順次配給を開始いたします。押し合わないで。食べ物は十分にありますから」。

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新聞に載らない内緒話「喪中の知らせ」

喪中の知らせ

   夏に義母が亡くなったので、今年は年賀状に縁がない。

  11月始めに喪中の知らせを100枚ほど送ったから、もうやることがない。毎年松飾りをあつらえてもらっている鳶頭(かしら)にも「今年はいらないよ」と電話で連絡したから、ますますやることがない。

  同じような境遇の人間ももちろんいるわけで、ポツリポツリと喪中はがきが届く。両親が亡くなっていたり、兄弟に不幸があったりで胸が痛む。たいがいは春先の出来事であったり、時間が経過していて間が抜けたようで、今更弔問もはばかられる。線香を1箱、送って勘弁してもらっている。

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新聞に載らない内緒話「高いか、安いか」

高いか、安いか 

  「たまには一杯、やろうよ」

  と、誘われて、指定された場所がホテルオークラ東京の別館1階ロビー。行きなれない場所だからすっかりお上りさんで、うろうろ本館正面から入ったものだから、別館まで迷路のような廊下に戸惑い、エレベータ、エスカレータを乗り継いで何とかたどり着いた。

  ロビーの表示を見落としたから、「たぶんここでいいんだろう」と周囲を見回していたら、今宵の相手が汗を拭き拭きやってきて、「待ったかい」と声をかけてくれた。「何で汗、かいてるの」と聞いたら「ここにヘルスクラブがあるんだよ。会員制だけどね」とニコニコしている。嫌味に聞こえないのがこの男のいいところで、それが理由で長年付き合っている。

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新聞に載らない内緒話「名前のある年賀状」

名前のある年賀状

年賀状のシーズンである。

  何を先走って、と言うかもしれないが、平成21年度の年賀状はすでに予約が開始され、民営化に伴い社員たちは年末へ向け、1人1000枚単位の販売ノルマ達成を目指し大忙しだそうだ。60歳半ばを超えた、私の知人はアルバイトではあるが、それでも百枚単位のノルマをあてがわれている。

  午前と午後の配達が仕事の、郵政一筋の人で、15人も入れば満杯の飲み屋に毎日やってきては1000円ほど使って、いい気持ちになって帰ってゆく。肉体労働者ばかりの、この場所は本名を名乗る人間はほとんどいない。ある男は「松ちゃん」であり、隣の男は「ノンちゃん」である。お互いニックネームだけの、この居酒屋で、彼らはそれぞれ1日の疲れを、数杯の焼酎とささやかな肴で癒して、また宿舎へ戻る。

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新聞に載らない内緒話「王貞治辞任」

王貞治辞任 
  1998年(平10)8月1日、福岡ドームで行われたダイエー(当時)対西武戦5回表、王監督は捕手の城島健司(現マリナーズ)を交代させた。この日のリードに精彩を欠いたからだ。これに城島はむくれ、ベンチに戻るなりレガーズなど防具を投げつけ、その拍子にベンチ出入り口にあった、パイプ製の「監督椅子」が吹っ飛んだ。

  「城島! なんだ、その態度は」。

  8月2日付の日刊スポーツにはこう書いてある。「何事が起きたのかと、通路に飛び出したカメラマンの見ている前で、城島に近づき、右手の甲で払いのけるように、顔面をぶった」。

  王貞治がプロのユニホームを着て、しかも職場でもある球場で人を殴ったのは後にも先にも、この1回だけである。

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新聞に載らない内緒話「飛び込む理由」

飛び込む理由 
  エレベーターが途中階で止まり、ドアが開いた。小太りの、50歳代後半と思われる男性がハンカチで顔をぬぐいながら飛び込んできた。エレベーター内に居合わせた、恰幅の良い男性が思わず声をかけた。

  「あんた、やるじゃないの。どうやって食い込んだんだ」。

  顔見知りだったのだろう。声をかけた男性の胸には向日葵(ひまわり)のバッジ。弁護士同士の会話である。

  「いやぁ、飛び込み、飛び込み」。

  そう言って、ハンカチ氏は次の階でパタパタと飛び出していった。

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新聞に載らない内緒話「アイドルと横浜」

アイドルと横浜 
  その人が入場してくると、目ざとくその存在に気がついた数人から「真理ちゃん!」と声がかかった。

  100人も入れば満杯の小さな映画館で、居合わせた客はまばらな、30人ほどだろうか。真っ赤な夏ジャケットをまとい、小太りの、小柄なその女性はスクリーンを真近かに見上げる前列2列目中央席に、白髪の男性とともに座った。周囲を意識したか、小さく会釈をして手を振った。表向きは、「お忍び」と言うことだったが、ファンからの声に思わず反応してしまうのは、その「生い立ち」を考えれば、当然の習い性であろう。上映前のわずかな時間だったが、彼女のかつてのヒット曲が流され、館内に漂う空気は何やら30年前の、「昭和」である。

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新聞に載らない内緒話「公衆」からの電話

「公衆」からの電話 
  日曜日の昼下がり、携帯電話が鳴った。受信画面を見ると「公衆電話」の表示。「いまどき公衆からねぇ…」といぶかしがりながら応対に出ると、電話の向こうはいかにもか細い声で「おれ、おれだよ。金、貸してくれないかな。明日には仕事が決まるから…」。今、どこにいるんだと聞くと、沿線の終着駅で、ここからは遥かに遠い。

  暑さに耐えかね、涼むつもりで一区間だけの切符を買い、乗り込んだ電車で寝込んだらしい。
繁華街のはずれにある居酒屋でよく会う、日雇い労働者だった。そういえば先週、店で会ったとき「仕事にあぶれちまった」としょんぼりしていた。住所を持たない男で、カプセルホテルや漫画喫茶で夜を過ごし、そのまま一番電車で仕事場に向かっていたが、建設中のビルが完成して、ついでに首を切られた。

  「金が底をついちゃって。3日間、野宿。朝から何も食べていない」。

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新聞に載らない内緒話「ガンバレ」記念日

「ガンバレ」記念日 
  先日、神田神保町の、老舗の洋食屋で待ち合わせをした。2階の4人席、ガラス張りのここは古書店街を見渡す、毎度お目当ての特等席である。注文もせず、ぼんやり人の流れを眺め、知人の到着を待っていたら、店の女将と思われる人物が「お暇つぶしになれば」と小冊子を届けてくれた。こういう気の利いた、ちょっとした所作が下町風で、いかにもうれしい。
  
  それはともかく、小冊子を取り上げると「月刊文化情報誌・ほんのまち」とある。神保町あたりのタウン誌であろう。パラパラとめくっていたら、「『前畑がんばれ』は何回叫んだか?」という見出しに思わず手が止まった。筆者は山川正光さん、書き出しに「日本では毎年八月十一日を『ガンバレの日』としています」とある。

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新聞に載らない内緒話「ノンキャリア組」

ノンキャリア組

 
  金曜日、午後の法廷。

  関係者は一様に「そんなことはないよ。いつもと同じ」と否定するが、週末を控え、東京地裁は刑事裁判の開廷が少なく、民事も、その日の裁判を列挙する開廷表をながめる限り、いつもよりまばらなような気がする。裁判所通路の大きな窓からは、初夏の青空がのぞけ、明日から始まる休日を見越したかのような、弛緩したムードが漂う。

  6階の、この民事法廷はこじんまりしたスペースながら、原告、被告の訴訟代理人(弁護士)4人、原告、証人ら含めると6人が詰め、開廷を待っている。傍聴人は私ひとりで、この案件がすでに過去のものになったことを示している。

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新聞に載らない内緒話「ささやかな幸せ」

ささやかな幸せ 
  自宅近くのデパートがリニューアルされ、開店した。総額80億円、半年をかけての改装だったから近隣の注目を浴び、黄金週間の今、相当のにぎわいである。さっそく見物に、と出かけようとしたら、家人から「サンダル履きで行くような場所じゃないわよ」と釘を刺された。東京は南の端、ここは世辞にも高級住宅街ではないし、庶民が安売り店に群がる町だ。それでも、高級化の波はこの場末までやってきたというわけである。

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新聞に載らない内緒話「新入社員諸君!」

新入社員諸君! 
  まだ大学生だった頃(高校生だったかな)、4月1日の新聞を開くと1ページをまるまる使った、作家の山口瞳さんのコピーが目に飛び込んできました。「新入社員諸君!」と題したサントリーの広告でした。もちろん私は、新入社員ではありませんでしたが、そのコピーは妙に心にしみいるもので、切り抜いて保存した記憶があります。ずいぶん昔の話で、その切り抜きもどこへいってしまったか、皆目わかりませんが、ふとあの時のコピーに出会いたくてネット検索をしてみました。便利な世の中で、いくつかがたちまちヒットしました。以下の文章は「新入社員諸君!」とは別物ですが、「少年達よ、未来は」と題した山口 瞳さんの作品です。年度替わりのこんな時期、ふさわしいのではと、引用してみます。

  私が会社に勤めて月給を貰うようになったころ、そのとき私はまだ二十歳だったのですが、私の先生にあたる人と一緒に、ある会場に行くということがありました。
 
  駅で切符を買い、改札口を通ったときに、電車がプラットフォームにはいってくるのがわかりました。駆け出せば、その電車に乗れるのです。すこし早く歩いたとしても乗れたと思います。周囲のひとたちは、みんな、あわてて駆けてゆきました。

  しかし、先生は、ゆっくりと、いつもの歩調で歩いていました。私たちが階段を登りきってフォームに着いたとき、電車はドアがしまって、発車するところでした。駅には、乗客は、先生と私と二人だけが残されたことになります。

  先生は、私の気配や心持を察したようで、こんな意味のことをいいました。

  「山口くん。人生というものは短いものだ。あっというまに年月が過ぎ去ってしまう。しかし、同時に、どうしてもあの電車に乗らなければならないほどに短くはないよ。…それに第一、みっともないじゃないか」

  私は、この言葉に感銘をうけました。

  何かの事件が起こる。乗り遅れまいとして、ワッと飛びつく。そのために自分の歩調を乱す。それはミットモナイことなのだ。そんなふうにも解釈したのです。目的地に達するための電車が来る。駆け出せば、それに乗れる。そういう事態は、その後の23年間に何度もありました。

  そのたびに、私は先生の言葉を思い出しました。私は教訓的なことを言うつもりはないのです。ナーニ、5分も待てば次の電車が来るのです。先生と私以外の乗客は、みんな、前の電車に乗ってしまいました。先生と私は次の電車に乗りました。その電車は空いていて、悠々と座ることができました。私は、なんだかよくわかりませんが、あッそうかと思ったのです。

  少年たちは、自分の未来をどのように想定しているだろうか。あるいは、現在の世の中をどう見ているだろうか。私には非常に興味があります。

  Aという地点からBという地点に到達するには、さまざまな道があると思っていただきたい。AからBに行くために、いったんCに寄ってみることも可能なのです。

  あるいは電車を一台やり過ごしてもBという目的地に達することができます。AからBに直線的に進むというのが、少年や青年の特徴であるかもしれない。私には、実のところ、少年達が自分の未来像をどのように想定しているかということがわかりません。人によって千差万別でもあるでしょう。

  しかし、私の経験からいうならば、ただひとつ、アセッテハイケナイということだけは言えると思うのです。焦る必要はない。

  そうして私は、ストレートに社会に出てきた青年たちに、ある種の脆さを感ずるのです。脆いところの青年達は、同時に絶えず、身を立て名をあげるために焦っているように見受けられるのです、近道反応が目立つのです。

  もう一度、言いましょうか。

  人生は短い。あっというまに過ぎてゆく。

  しかし、いま目の前にいる電車に乗らなければならないというほどに短くはない。

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